2011.11/25 [Fri]
やっぱり乳がん〜治療方針決定&治療開始〜
【前回の続き】
全摘手術後「これから一体どうなるんだろう?私はどうしたいのだろう?」とずっと考えていた。
当時は長女小6、長男小2、次男幼稚園年長。長女卒業、次男卒園、その後W入学を控えていた。そして長男と次男のところでPTAの役員をしていた為、これから3学期が役員としてメインの行事も詰まっていて一番忙しくなる時期だった。
乳がん発覚以来ただひたすら「死にたくない、子供達の為に生きたい」そう思い続けていた。いや、本当は「子供達の将来が見たい、この子達がこれからどんな友達と出会ってどんな風に過ごしてどんな道を選んで歩いていくのか自分の目で確かめたい。せめて末っ子が自立するのを見届けるまでは…」と自分の希望だけだったかもしれない。
生きる為なら出来る治療は何でもする覚悟は出来ていた。センセは退院前「抗がん剤はしなくてもいいかもしれない。でも答えは(←私から質問してはいないww)もう少し待っていて」と言っていたけれどきっとやることになるだろう。禿げるのは嫌だ、吐くのも嫌だ、でも死ぬのはもっと嫌だ。でも、これから親としてもPTA役員としても一番忙しい時期に、ただでさえこの時期子供達の誰かが、もしくは全員がノロだのインフルエンザだのウィルスをほぼ確実に持ち帰るのである。母である自分が元気でなくてどうして我が家の生活が回るだろうか?「こんな時期に禿げたり吐いたりしたくない」真面目にそう思っていた。1月5日の診察を前にあの友達(以降Nちゃんとします)にとりとめもなく気持ちを聞いてもらっていた。
私 :「きっと抗がん剤はやるんだろうな。覚悟は出来ているつもり。でも出来れば開始時期を先に延ばしたいな…」
Nちゃん :「それは絶対先生に言うべきだよ。言わなきゃ駄目だよ」
私 :「お願いしてもいいかな?大丈夫かな…」
Nちゃん :「大丈夫よ!私たちそんなに切羽詰っている訳じゃないんだから。私の先生だって「抗がん剤はあなたの都合がいい時からでいいですよ。と言っても半年も先じゃあ困るけれど」って言っていた。だから私は子供が夏休みに入ってからにした。開始するまで2ヶ月近くあった。でも大丈夫だった。自分の希望は絶対に先生に伝えなきゃ駄目」
私 :「そうだよね、言うだけ言ってもいいよね。もし、それが駄目なら駄目って言ってくれるよね?」
Nちゃん :「大丈夫!!後悔しないように絶対に言わなきゃ駄目だよ」
2009年1月5日
Nちゃんの力強い言葉を胸に病院へ。
ものすごい緊張して呼ばれるのを待っていたからどのくらい待ったか覚えていない。ただお昼前には呼ばれた。
診察室に入って挨拶が済むと先生から病理結果の説明。
浸潤性小葉癌、ER,PgRともに強陽性、HER2+1、脈管浸襲なし、リンパへの転移なし(0/3、センチネル)
腫瘍径3センチ、年齢(若年性35歳以下)に関してはクリア
センセ:「ホルモン治療は必ずするよ。みんくさんにはきっと効くからね。問題は抗がん剤をどうするかなんだよね。(抗がん剤適用条件の用紙を見ながら)みんくさんの場合は腫瘍径だけといえばだけなんだけれどね…」
私 :「はい………(どうするかって迷っているような言い方じゃないじゃん。by心の声)」
うつむいていた顔を上げるとばっちりセンセと目が合った。センセもうずっと私の事見つめている
いやいや、ドキドキしている場合ではない。何分経っただろう?しばらくの沈黙…果てしなく長く思えた。その間センセはずっと私から目を離さない。雰囲気の重さに耐え切れなくなって私が視線を外してもずっとセンセに見つめられたまま。ああ、もうやるならやれとはっきり言ってくれればいいのに…この雰囲気何かに似ている。ああそうだ、PTAの役員決める時に似ている。「あんたできるでしょ。あんたがやりなさいよ。ほら、早く手を上げなさいよ」みたいな…
私 :「副作用は…?」
センセ:「うん、じゃあホルモン治療から説明しよう。これは必ずするからね」とホルモン治療の説明から始まり抗がん剤治療についても説明してくれた。
私 :「やるとしたらいつから?」
センセ:「やるとしたら今月末ぐらいからかな。みんくさんの場合はやるとしたらTC療法、3週間ごと1回×4回。やるとしても4回だけだよ。3ヶ月だけだから」と言う…
あの、センセ何が言いたいの?4回だけ?3ヶ月だけって何?どんな意味があるの?わからないよ…
覚悟は出来ているつもりだけどやりたい訳ないじゃない。「やるとしたら」なんて言うけれどやらせるつもりなら早く「やれ」と言ってくれればいいのに…そしてまたしばし睨み合ったまま見詰め合ったまま沈黙…この時隣の診察室から別の先生の声「副作用のない抗がん剤なんてないよー!」ああ、隣も同じような話をしているんだね。そう思うと余計に耐え切れなくなった私。
私 :「やった方がいいんだよね…?」この言葉にセンセ間髪いれず
センセ:「そりゃあね。年齢考えたら絶対にやった方がいいよ。みんくさんが70歳なら僕だってこんな事言わないよ!」
あああああ~~~~~やっぱり抗がん剤やれって言われているんだあ~~~
しかも私が70歳ならこんな事言わないだって…
私 :「分かりました。やります。やります。やるけれど私今とても気になっている事があるんです。子供達が卒業と卒園だし…~ 中略 ~こんな時に禿げたり吐いたりしたくないです。出来れば治療の開始を遅らせたいです」あ、言えた…と思ったらセンセこれまた間髪入れずに即答で
センセ:「いいよ。それでもいいよ、子供の事が落ち着いてからでいいよ。どうせ1~2ヶ月でしょ?それ位なら問題ない、大丈夫。でもあまりない事だけどね。特別なケースだけどね。(←繰り返されちゃったよww)じゃあそうと決まればそれまでホルモン治療していよう。今日から注射しよう。お腹に注射するから横になって。抗がん剤始めるまで何もしないわけじゃないから、ホルモン治療するんだから心配しなくても大丈夫だよ」
私あまりのあっけなさというか意外というか急な展開にびっくりして
私 :「え?え?お腹?え?痛いの?痛いの嫌だよ
」
センセ:「大丈夫。センチネルより全然痛くないから」とブスッ
とゾラデックスを注射。
ああ、この時もものすごい衝撃だったわ。だって男の人にお腹(下腹部)をむにゅっと摘まれる事なんてまずないもの。旦那がそんな事したら離婚騒動だよww
こうしていきなり私の治療は始まりました。
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全摘手術後「これから一体どうなるんだろう?私はどうしたいのだろう?」とずっと考えていた。
当時は長女小6、長男小2、次男幼稚園年長。長女卒業、次男卒園、その後W入学を控えていた。そして長男と次男のところでPTAの役員をしていた為、これから3学期が役員としてメインの行事も詰まっていて一番忙しくなる時期だった。
乳がん発覚以来ただひたすら「死にたくない、子供達の為に生きたい」そう思い続けていた。いや、本当は「子供達の将来が見たい、この子達がこれからどんな友達と出会ってどんな風に過ごしてどんな道を選んで歩いていくのか自分の目で確かめたい。せめて末っ子が自立するのを見届けるまでは…」と自分の希望だけだったかもしれない。
生きる為なら出来る治療は何でもする覚悟は出来ていた。センセは退院前「抗がん剤はしなくてもいいかもしれない。でも答えは(←私から質問してはいないww)もう少し待っていて」と言っていたけれどきっとやることになるだろう。禿げるのは嫌だ、吐くのも嫌だ、でも死ぬのはもっと嫌だ。でも、これから親としてもPTA役員としても一番忙しい時期に、ただでさえこの時期子供達の誰かが、もしくは全員がノロだのインフルエンザだのウィルスをほぼ確実に持ち帰るのである。母である自分が元気でなくてどうして我が家の生活が回るだろうか?「こんな時期に禿げたり吐いたりしたくない」真面目にそう思っていた。1月5日の診察を前にあの友達(以降Nちゃんとします)にとりとめもなく気持ちを聞いてもらっていた。
私 :「きっと抗がん剤はやるんだろうな。覚悟は出来ているつもり。でも出来れば開始時期を先に延ばしたいな…」
Nちゃん :「それは絶対先生に言うべきだよ。言わなきゃ駄目だよ」
私 :「お願いしてもいいかな?大丈夫かな…」
Nちゃん :「大丈夫よ!私たちそんなに切羽詰っている訳じゃないんだから。私の先生だって「抗がん剤はあなたの都合がいい時からでいいですよ。と言っても半年も先じゃあ困るけれど」って言っていた。だから私は子供が夏休みに入ってからにした。開始するまで2ヶ月近くあった。でも大丈夫だった。自分の希望は絶対に先生に伝えなきゃ駄目」
私 :「そうだよね、言うだけ言ってもいいよね。もし、それが駄目なら駄目って言ってくれるよね?」
Nちゃん :「大丈夫!!後悔しないように絶対に言わなきゃ駄目だよ」
2009年1月5日
Nちゃんの力強い言葉を胸に病院へ。
ものすごい緊張して呼ばれるのを待っていたからどのくらい待ったか覚えていない。ただお昼前には呼ばれた。
診察室に入って挨拶が済むと先生から病理結果の説明。
浸潤性小葉癌、ER,PgRともに強陽性、HER2+1、脈管浸襲なし、リンパへの転移なし(0/3、センチネル)
腫瘍径3センチ、年齢(若年性35歳以下)に関してはクリア
センセ:「ホルモン治療は必ずするよ。みんくさんにはきっと効くからね。問題は抗がん剤をどうするかなんだよね。(抗がん剤適用条件の用紙を見ながら)みんくさんの場合は腫瘍径だけといえばだけなんだけれどね…」
私 :「はい………(どうするかって迷っているような言い方じゃないじゃん。by心の声)」
うつむいていた顔を上げるとばっちりセンセと目が合った。センセもうずっと私の事見つめている

私 :「副作用は…?」
センセ:「うん、じゃあホルモン治療から説明しよう。これは必ずするからね」とホルモン治療の説明から始まり抗がん剤治療についても説明してくれた。
私 :「やるとしたらいつから?」
センセ:「やるとしたら今月末ぐらいからかな。みんくさんの場合はやるとしたらTC療法、3週間ごと1回×4回。やるとしても4回だけだよ。3ヶ月だけだから」と言う…
あの、センセ何が言いたいの?4回だけ?3ヶ月だけって何?どんな意味があるの?わからないよ…

私 :「やった方がいいんだよね…?」この言葉にセンセ間髪いれず
センセ:「そりゃあね。年齢考えたら絶対にやった方がいいよ。みんくさんが70歳なら僕だってこんな事言わないよ!」
あああああ~~~~~やっぱり抗がん剤やれって言われているんだあ~~~

私 :「分かりました。やります。やります。やるけれど私今とても気になっている事があるんです。子供達が卒業と卒園だし…~ 中略 ~こんな時に禿げたり吐いたりしたくないです。出来れば治療の開始を遅らせたいです」あ、言えた…と思ったらセンセこれまた間髪入れずに即答で
センセ:「いいよ。それでもいいよ、子供の事が落ち着いてからでいいよ。どうせ1~2ヶ月でしょ?それ位なら問題ない、大丈夫。でもあまりない事だけどね。特別なケースだけどね。(←繰り返されちゃったよww)じゃあそうと決まればそれまでホルモン治療していよう。今日から注射しよう。お腹に注射するから横になって。抗がん剤始めるまで何もしないわけじゃないから、ホルモン治療するんだから心配しなくても大丈夫だよ」
私あまりのあっけなさというか意外というか急な展開にびっくりして

私 :「え?え?お腹?え?痛いの?痛いの嫌だよ

センセ:「大丈夫。センチネルより全然痛くないから」とブスッ

ああ、この時もものすごい衝撃だったわ。だって男の人にお腹(下腹部)をむにゅっと摘まれる事なんてまずないもの。旦那がそんな事したら離婚騒動だよww
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